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お腹すいた

 投稿者:桐ヶ谷忍  投稿日:2008年 7月 4日(金)19時07分2秒
返信・引用
  以前、拒食症時代の経験からすると、4日間食べなければ5日目からは空腹感が麻痺してしまう事が分かった。
んで今日3日目。一番辛い日です。その分半端なく水分補給をしているのだけど。
SSサイズ時代に還りたい~っ!
DHC「ブロティン ダイエット」という栄養美容に良い成分の入った粉を水でしゃかしゃかシェーカーして飲むと、空腹感が少し収まる。
だけど高いよ! もっと安くしてくれよ!

今日は病院行ってきました。
あーんど会社の面接。
病院はねー待ち時間だけで小説1冊読みきれるほど長く長く待たされる。
おかしな顔つきをした方々が、広い待合室に一堂に会するという光景を思い浮かべて下さい。
いやいや、想像力だけでは補えないでしょう。
現実は、何ていうのだろう。凄まじいの一言に尽きる。
いきなり号泣する人、床に突然寝転がる人、異常に太っている人&痩せている人、何か呟いている人etc。
怖いです。
私も3年前までは病院だろうが家だろうが泣き続けていました。
正気に返ってみれば、絶句します。この中に私が居たという事に。
今は、発作的にたまに落ち込みがやってきますが、そゆ時は睡眠薬使って寝ちゃえばOK。
起きてみれば落ち込んでたの吹っ飛んでます。
でもねえ、1日16錠だっけ。そんくらい薬服用していると、副作用が当然出ますな。
まず、マトモに喋れなくなる事が多々ある。ろれつが回らないの。
それから手足の震え。私ヘビースモーカーなのだけど、うっかり右手がしびれだすと煙草持ってられません。まあそゆ時は左手に持ち返ればいいんだけどさ。
あとねえ、めまいが酷いかなー。
立ち上がった途端、一瞬くらりとする。
でね、私献血できないの。献血禁止。私の血液は薬のせいで毒みたいなもんなの。
自力で寝る事を目標にしているのだけど、いかんせん最近、10錠の睡眠薬では眠れなくなりつつある。
ちなみに昨日行った国立病院の医師に、こんな薬飲んでますって見せたら、10錠に眉をひそめられた。
僕だったらこんな処方しません、と言われた。
私の飲んでる睡眠薬ってのはもう医者で出せる最高のもんなの。これ以上の強い睡眠薬ないの。だからひたすら量を増やすしか出来ない。最初は1粒でで眠れたんだけどねぇ。免疫って怖いわぁ。

ま、それはともかく、面接。
早く着きすぎちゃったから、近くのカラオケ屋で1時間半ひとりで熱唱。
そして次長が面接官だというからてっきり男性だと思ってたら50代後半くらいのおばちゃんで驚いた。
仕事、午前の部と午後の部とで分かれていて、それにも驚いた。半日の仕事じゃ大して金にならんわー。
というわけで採用の否か応かの連絡は月曜日に来るそうだけど、落ちてもいいやー。
時給も安いし。
何より面接官の態度が悪かった。
求人募集をして、相当数の人が申し込んでいるのは事前に電話で分かっていた事だけど、もう流れ作業みたいな面接をしやがった。
これから一緒に働こうという人間を見定める態度じゃないぞ。
ま、そんなこんなで、カラオケ屋に置いてあった各種インスタントハーブティくすねてきたので、それ飲もー。
 
 

「経血」

 投稿者:桐ヶ谷忍  投稿日:2008年 7月 2日(水)13時05分14秒
返信・引用
  「経血」

咲く前に
枯れゆく蕾の
かたく閉じた花弁から
搾り出すように零した
その
紅色の
名、を。

----------------------------------------------

3年前に書いた詩です。
最近はいじめや鬱で自殺する等が大きく報道されていますが
3年前は、幼女に暴行して殺すという残虐な事件が
多発しておりました。
覚えていらっしゃるでしょうか?
私はこの詩を読み返して、ああそんな年があった、という
記憶しかありません。
経血というのは、月経時の血のことです。
この詩は、幼くして強姦され、あげく殺されてしまった
悲惨さに泣くような思いで作った詩です。
強姦というのは、女性にとっては精神的な殺害と何ら
変わらないことに思えます。
たまに、私は男性が嫌いになります。
男らしければ男らしい人ほど、女らしければ女らしい人ほど
嫌いです。
というか怖くて苦手です。
男でも女でも、中性的な人が一番安心できます。
別居中の主人は、私の理想像のような人でした。
私より細くて、繊細で、乙女チックで、でも男w

ただ、私がうつ病になってから裏目になってしまいましたがね。
踏ん張りどころだったのに、怯えて逃げてしまった。
支えてくれるどころか「もう疲れたから一緒に死のうか」と
いう人だった。

おっと、脱線。

ともあれ、私は未来ある幼い子に危害を加えるなどというのは
正気の沙汰ではない、と言いたかったのでした。
どうせ殺すのなら私を殺せと言いたい。
あらゆる可能性を秘めた幼い子を虐待するなんて
同じ人間とは思いたくもない唾棄すべき人種は地上から
抹消されちまえってんだ(怒)
 

L'Arc en Ciel

 投稿者:桐ヶ谷忍  投稿日:2008年 7月 2日(水)04時43分1秒
返信・引用 編集済
  大好きです。
hydeの容姿と声、歌詞がもうっっっ筆舌に尽くせずほど好きー。
結婚してーw(既婚していますが・・・)
一番書きな曲は「花葬」と「FINALE」です。たまらんわー。
あとねーt.A.T.Uも好きー。
かたっぽの女の子(名前忘れた)、hydeに似てる!
まあ2人とも好きなんだけどねー。

私ねーバイなんですよ。男も女も恋愛対象。たまたま最後に恋したのが今のご主人様で
そりゃぁもう面食いの私から見て綺麗な顔しているし、頭いいし、第一性格が好き。
私、人間嫌いなの。でもご主人様は違うの。人間好きな人なの。そこが一番のミソ。
人間好きってのはさー中々なれるものじゃない。
まず表裏無し。嘘つかない。人と人との間にある厳然とした壁が無い。或いは薄い。
で、相手が例えば私みたいな人間嫌いな人間だと、壁をぶっ壊してくる。
それが快感。
私人格障害もちなので、なんかねー、衛星みたいなのが無数にあって、それが私という
人間を、とても心の狭い、陰険で、根暗で、腹黒で、小賢しくてーキリがないわw
そゆ嫌な人間を衛星が一々伝えてくるのよ。

なのでそんな私を愛してくれたご主人様には是非とも幸せになって頂かないと困る。
無論一番は私が彼を幸せにしてあげられることなんだけど、私の他に好きな人が
出来たっていうなら離婚に応じる。
覚悟してます。
別居3年目だから・・・。
ただ私は、ご主人様以上のい男って見たことも聞いたことも無い。

お。洗濯が終った。
リオのバカが私のベッドに粗相しやがって、シーツから何から洗わなければー。
そしてその後ちょい寝て、いつも行く心療科ではなく、違う心療科に行って見ます。
私ねー睡眠薬だけで毎夜10錠飲むんです。
他に抗鬱剤、4種6帖。
いくらなんでも身体に悪かろうと・・・。
ではあでゅぅ。
 

「君の名は」

 投稿者:桐ヶ谷忍  投稿日:2008年 7月 2日(水)03時55分45秒
返信・引用 編集済
  君とは何者の名であったか


海岸線を素足で歩く
波がやってきて足跡をさらってゆく
真昼の陽光をわずかに残した生暖かい砂浜が
綱渡りのように思える
消された足跡は後戻りも許されない

わずかに軌道を逸れてしまっただけに違いないのに
それだけの事で
何もかもが変わってしまった
帰りたいと願ってた家を
友だと思っていた人々を
あらゆる慕わしいものを
波がさらってゆく

訪ねるところを知らずただ歩く
その私の名は意味を為さない
誰も呼んでくれない名前なら
無いも同じ

いつの間にか満ちた波が
素足を濡らす
見上げれば残照
薄紅色と赤紫色と群青色の空
そして沈み行こうとする朱金の夕陽

君とは、何者の名であったか
いつくしみ深いまなざしで全てを見透かす
君の名は

それすら波がさらっていって思い出せない
私が私の名を思い出せぬように
 

計りました

 投稿者:桐ヶ谷忍  投稿日:2008年 7月 1日(火)23時11分23秒
返信・引用
  63kgでした・・・。
ぎゃぁぁぁぁ。
今もついクランキーチョコ食べちゃった;;
空腹ってつらいやね。
そこを睡眠で空腹感感じないようにするのがこの睡眠痩身法なんだけど。
体脂肪率がねー言いたくないけど、34.5%もありましたよママン。
うぎーやばすぎるー拒食症時代にカムバーック(*´;ェ;`*) うぅ・・・
ネトゲ(ネットゲーム)終った事だし、寝るか。
【寝室】*-ω-)ノ" オヤスミー♪
 

うっかり

 投稿者:桐ヶ谷忍  投稿日:2008年 7月 1日(火)20時11分35秒
返信・引用 編集済
  名刺代わりに置いた「少女の視線」。
あれ文芸思潮様から優秀賞を頂きまして、金とトロフィーと賞状がもらえました。
ちなみにエッセイ書いたのは、これで2度目で、1度目も審査員賞もらってます。
しかし
しかしですよ、中学生の頃から書いてきた詩にはとんと何も来ない。
つーかコンテストに応募した事一度も無いんだけどw
そういうわけで、送りましたよ、詩編3。
これまでに書いた詩の中から精鋭中の精鋭です。
賞もらえると良いなあ。ほぁほぁ~ん。

ところで昨日ご主人様宅から帰る途中「黒執事」というタイトルの漫画と目が合いました。
早速4巻買いましてね。睨んだとおりおもしろいんだわーこれがw
読むのお奨め。
あーこんなんだから部屋中に本や漫画散布されているわけです・・・。
ウチね。公団住宅なんだけど、1階2階があるの。ユニット式っていうの?  わからん。
とりあえず1階は玄関からベランダまでどわーっと開いたキッチン&リビング。
2階には2つ部屋があって、書斎と寝室と分けております。
どちらも6畳、やたらと多い押入れを入れれば実際は6畳半くらい。
その家でリオという猫と住んでます。
アメリカンショートヘアで物凄い美少年です。2歳になります。
そして家の目の前には団地用商店街?というのがありまして、近隣でもここ以上安い店はないというくらい安いスーパーがありコンビニがあり銀行があり。
なかなかお目にかかれないほどのすばらしい環境です。
4階から眺める夜景もなかなか素敵。
別居中だけど、1人暮らし堪能してます。
ではそろそろ、オンラインネットゲーム「リネージュⅡ」をプレイしに行きます。
あでゅぅ。
 

「母」

 投稿者:桐ヶ谷忍  投稿日:2008年 7月 1日(火)17時30分10秒
返信・引用 編集済
  結婚式の数日前から
あなた、全てのアルバム積み上げて
夜、誰にも見つからないように
私の写真だけを抜き取っていた

かぼそい光の中で
少し太めの背中を向けて静かに
抜いては、新しいアルバムに入れて
家族から私だけを切り離していた

時に、一枚の写真に見入っているのか
動きが止まって
何度も
止まって、それからまたのろのろと動き

おかあさん
あの時、私ようやく理解したの
そして、多分おかあさん、あなたも
結婚するって、こういうことだったのねぇ


夜、分厚い3冊のアルバムを持ってきて
これお前のアルバムだから持って行きなさいと
私、驚いたふりでありがとうと言い
受け取ったアルバムの重さに
衝動的に泣きそうになった

あなたが部屋から出て行った途端
式のプログラムの「両親へのスピーチ」の下書き
放り出して、アルバムをめくり

私が第一子だったせいか
1冊目は赤子の頃の写真だけで埋まっていた
2冊目は小中高大学生の頃と旅行先での写真が埋まり
3冊目は成人して以降の写真が何枚かと
結納で撮った私とあの人を中心にした両家の写真
それが最後

半分以上が埋まってない3冊目のアルバム
ねえおかあさん
私これから何枚写真を撮ろうと
このアルバムの続きには入れません
何も、入れられません

夜、家族が寝静まってからそっと
母が積み上げたままだったアルバムから
一枚だけ抜き取って
3冊目のアルバムの最後のページに
大事に差し入れた

おかあさん、あなたの笑顔を。
 

人生色々さー

 投稿者:桐ヶ谷忍  投稿日:2008年 7月 1日(火)15時39分5秒
返信・引用 編集済
  私、名刺代わりに書いたとおり、躁鬱病、不眠症、人格障害、虫恐怖症、音過敏症、光過敏症あー書くの面倒なくらい病もちですw
とは言いつつ、既に回復傾向にあるので、昔ほど生きる恐怖は減りました。
ご主人様とは別居中でしたが、先週土日、初めてご主人様お宅拝見をしたり、手をつないで歩いたり、寝る前にせがんだら、ちゅーの許可貰ったし(*ノノ)
お金がたまったらお部屋借りて、また一緒に暮らそうねーと約束してます。
というわけで、睡眠痩身研究が終り次第、ハローワークで職探しです。
何を隠そう(隠してない)わたくし、面接女王なのです。
面接で落ちた事はただの一回もありません。
10社くらい、もっとかな、これまで面接に行ってきましたが、落ちた事はない。
よく人に道を聞かれるしねー、善人ヅラしているのでしょう。人畜無害そうなね。
ただね、どの仕事も長続きしないの。+゚(*ノェノ)。+゚
一週間でクビとかね・・・。

短大出てから、7年半、結婚するまでずっと同じ会社で働いていた事も、面接官には
大きな好印象を与えてます。
あとねー、私その会社で面接官の横で面接官のフリして座ってただけなのだけど、いや、私から質問をする事もありましたが、とにかく面接官の心理は心得ております。
バイトの面接に悩んでいたら、レクチャーしますよw

さて、ではまた眠ります。
睡眠薬、5時間丁度で起きる仕掛けになってるの。
もうね、目覚し時計より性格です。機械です。ロボです。如月です(若木未生著「イズミ幻戦記に出てくる人)
しかも立て続けに飲むと3時間くらいしか眠れなかったりね。
起きたら、次の睡眠まである程度のインターバルを置かないといけないという事が判明。
それでは体重計に乗って再び眠ります。おすみなさいませ。
 

名刺化代わりに

 投稿者:桐ヶ谷忍  投稿日:2008年 7月 1日(火)15時10分4秒
返信・引用 編集済
  「少女の視線」


 良心はどこにあるかと問われれば、人は何と答えるだろう。
 脳に、胸に、こころに。言い方は違っても、多数の人は己の体内を指すだろう。
 私の良心は体外にある。
 私の頭の後ろに、ふわり浮いている少女が、私の良心そのものだ。
 別にオカルトでも何でもない。
 人格障害の一種だ。
 私の中にあるはずの良心が、少女というカタチを持ち、体内から出て行ってしまった。
 異常といえば異常だろうが、医師に話して初めて知った程度の認識しかない。
 うつ病にならなければ、異常という自覚さえなかった。

 私の中の私が人格を持って、体外にいる、という症状はこれで二回目だ。
 一回目は十代の終わり頃だった。
 その時体内から離れてしまった私の人格のひとつを、私は「監視者」と名づけていた。
 「監視者」は、私の一挙手一投足全てについて、嘲笑し、罵倒し、冷ややかな視線を、 寝て意識を失うまで、浴びせ続けた。
 何事にも厳しかった父が、温和になり始めた頃からだ。
 父に取って代わるように、私を終日監視するようになった。
 極端に言えば、右足から歩けば、右足から歩いたことに冷笑する。
 他人と話せば、その 話している時の表情、話し方、声の高低、視線の置き場所、しぐさ、ともかく他人に映るであろう私の全てを私に伝え、そのいちいちについて嘲笑するのだ。それが寝入る前まで毎日続く。
 それこそ頭がおかしくなりそうだった。
 だがおかしいと思いこそすれ「異常」だとは思わなかった。
 普通の人はこんな風な現象は起きないだろうこともきちんと認識していた。
 ただ、おかしな体験をしているとは思った。
 他人が経験しないことを経験しているということに、おもしろく感じてもいた。
 一度だけ、母に話したことがあった。夕飯の料理中の母の背中に向けて、「監視者」がいる、と。
 母はちょっと振り向いたが、冗談か何かだと思ったのだろう。特に何も言わなかった。
 「監視者」がその時私に向けて言ったことを今でも覚えている。
 「お前の戯言など、誰にも受け入れられやしない。馬鹿な女だ。他人に理解を求めるなんて」
 それ以降、誰にも話さず、私は監視されていることにひたすら耐えた。
 だがその「監視者」も、一年を越えたあたりから少しずつ無言になり、私の等身大だったその体も萎んでいき、最後はちいさな光のようになって、背中から心臓のあたりに向けて吸い込まれるようになっていき、気が付けばいなくなっていた。
 いなくなったことに気が着いた時、やっと逃れられたという安心感と、一抹の寂しさを覚えた。

 それから約十年もの間、私はやはり異常だったという認識も持たず、平凡に会社に就職し、趣味の詩作を通じて主人と出会い、結婚し、幸せな未来を手に入れた主婦になった。なったと思った。

 幸せだった結婚生活は、三年で壊れた。

「監視者」が、私の立ち居振る舞いを馬鹿にしていたように、私は他人に映る自分が馬鹿に されているという強迫観念を常に持ち続け、人間嫌いの女に育て上げた。
 その人間嫌いだった私を愛してくれた夫に、私は、本来ならたくさんの係わりを持つ他人に分散されるであろう愛情を夫ひとりに向けた。
 今思えば、集中攻撃となんら変わりなかった。
 夫は、息苦しくなったのであろう。疲れて会社から帰宅すれば、飼い犬が喜びを体全体で出迎えるような妻が待ち構えている。平日も休日も関係ない。どこまでもじゃれ付いて回る妻である私に対して、愛情をかすれさせてしまう結果となった。
「一ヶ月でいいから、一人暮らしをしたい」と言って、夫は会社近くのマンスリーマンションへ逃げるように出て行ってしまった。

 ひとり、自宅に残された私は、あれほどに愛した夫を失うかもしれないという恐怖に毎日泣き暮らし、次第におかしくなっていった。
 テレビを付ければ犯罪ニュースに恐怖し、お笑い番組を付けてもテレビの向こう側で笑っているだけで、笑えない私に余計に孤独感を際立たせるテレビのコンセントを引き抜いた。
 電話が鳴れば、セールス。呼び鈴が鳴れば、セールス。電話線も引き抜き、来客にも一切応じなかった。
 しんと静かな部屋で、趣味の読書で気を紛らわせようにも、涙で読めない。食欲もなくなり、意識を飛ばそうと寝ようにも、眠れない。眠れても浅く、しかも悪夢ばかりを見た。唯一こころを和ませたのは、ネットの自殺サイトだった。いかにしてラクに死ねるか。悪夢を見て当然のサイトを見てばかりで、ただただ泣くばかりの生活を一ヶ月弱。
 私は、うつ病になった。

 あまりにも眠れないことに堪えきれなくなり、家の近くの心療科で睡眠薬をもらいに行った。
そこではじめに告げられたのは「不安神経症」だった。
 この病院にはその後一年ほど通うことになったが、いつ行っても患者は私一人というヤブ医者だった。本当なら患者が一人もいないとはどういうことかと考えるべきだったのだが、睡眠薬さえもらえれば何でも良いというほど、悪夢を見ずになるべく長時間、出来るなら一日中眠っていたかった私にはヤブだということに気が付かないままだった。

「不安神経症」。
 うつ病よりは軽く、平常よりは重いという微妙な病名だったが、それを告げられた時、私は心の中で狂喜していた。病名がついた。しかも精神に。嬉しくてならなかった。あの時はっきりと私は確信した。
 これで夫を繋ぎとめられる、と。
 離れて暮らしている間に妻を精神的に追い詰め、病気にまでさせた夫。
 一生治らなくていいとさえ思った。
 病気でいる限り、夫は私の傍にいる。
 メールで不安神経症になったと送信している最中、泣きながら笑っていた。ザマを見ろとまで思った。病気になるほど夫のことを愛している証拠になると思った。
 夫からはすぐにこちらに帰宅する、と電話がきたが、その必要はないと、約束どおり一ヶ月別れて暮らそうと言った。その方がけなげな妻だと見られると計算して。

 頭の後ろに、何かいる、と思い始めたのもこの頃からだった。
 その何かに、見つめられている。
 「監視者」がまた出てきたのかとも思ったが、その何かは無言のままだった。

 それよりも帰宅した夫と再び生活するようになったことで、私自身にもコントロールが効かなくなっていく自分に振り回されるようになっていた。
 当初は夫も、私を気遣い、なんとか治るようにと励ましてくれた。だがそんな優しさも私には効かなかった。治す気がない上に、時間を経るごとに私にもどうしようもなくおかしくなるばかりだった。神経症の薬は効いていなかった。
 次第に喧嘩をするようになった。始終泣いてばかりの私に、夫も苛立つようになってきた。
 離婚しようと言い出したのは、主人の方が先だった。
 だが、そうは言っても計算どおり夫には、自分が悪いという思い込みがあった。
 死にたい、もう嫌だ、と泣いてばかりの私に、ある夜主人が言った。
「もう疲れた。一緒に死のうか」
 愕然とした。
 あの、病気がもっとも悪かった時期、私は本気で死にたくなっていた。だが夫を道連れにしようなどとは思ってもいなかった。まだ若い、将来有望な夫を、自分のせいで殺すような真似は断固として出来なかった。
 首を振る私に、夫は笑いながらどうやって死のうか、などと話しかけた。
 それまでの生涯、最大の修羅場になった。
 痛いのは嫌だからどこか高いところから飛び降りようか。なんてことを言うのだ、と私は必死に止めた。何をどのようにどちらが言ったのか、もう覚えていない。ただ、怒鳴りあった。真夜中の午前三時に悲鳴のような声を張り上げて止める私と、自分だけでも死なせろと絶叫する夫。

 夫は決して自分から、死にたいなどと思うタイプの病んだ精神を持った男ではなかった。
 あの修羅場以来、治りたくなっていた。
 実家に預けられ、両親の厄介になった。
 だが、いくら本気で治そうとしても、治るどころか、実家にいてさえどんどん悪化していった。
そんな私を見るに見かねた母に、自宅近くの病院ではない、実家近くの心療科へ連れて行かれた。
驚いた。決して狭いとはいえない待合室にあふれる患者たち。待ち時間で小説一冊読み終えられてしまうほど待たされるだけの病んだ人、人、人。
 誰もがおかしな顔つきをしていた。自宅近くの病院とは雲泥の差だった。何なのだと思った。これほどに病んだ人々を一堂に見たことなどなかった。こんな、おかしな人たちと同類なのか私は、嘘だ、少しおかしいくらいで、まともだと必死に抵抗した。
 だが、診察の結果は、うつ病。
 初めて正しい診察をされた結果が、うつ病。
 医師に今まで服用していた薬だと見せた時の、医師のあの、こんな薬じゃ治らなくて当たり前だと言われた時のショック。一年もの間服用し続けた薬が全部無駄だった。悪化して当然の処方。
 おかしくて、泣きながら笑った。治るのに最低半年、だがあくまで治れば、の話だ。うつ病について調べれば調べるほど、何年も何年もかけて、やっと治せた人の手記、治る前に自殺する人、死ぬまで治らないままだった人。
 泣きながら笑う。そんなのはドラマの演出で、実際にはそんな風な悲しみ方をする人間がいるものかと思っていたが、本当にありえた。
 実家に預けられ、生涯この人と生きるのだと誓った人から離婚を申し渡され、会いにも来てくれない夫。短期間で治る人の方が少ないと思われる精神病。泣いているはずなのに笑いがこみ上げて、枕に突っ伏しながら、ひとりで幾度となく泣きながら笑った。

 実家での療養生活は二年に及んだ。その二年で、私はリスカの快楽を知った。
 最初は、せめて家事の手伝いをしようと洗い物をしている最中に湯飲み茶碗を割ってしまった時だった。一欠けらだけ取って、部屋で切りつけようとした。だが、切れなかった。
 ガラスならともかく、陶器ではせいぜいがミミズ腫れだった。
 翌朝、洗面台にあったカミソリで左手首を切った。
 それまで溜めに溜め込んだストレスが血と一緒に流れていくような錯覚をした。
 気が付いた母が悲鳴を上げて止血をしてくれたが、次はもっと深く切ろう、とぼんやり決めていた。

 この頃からだった。
 頭の後ろのずっと無言でいた「何か」がカタチ作るようになってきたのは。
 少女だった。
 少女に見つめられている。あどけない顔で必死な視線でじっと、無言で見つめてくる。
 少女が何を意味するのか、私には当初分からなかった。
 医師に告げた時、それは人格障害の一種だと言われた。
 ではあの「監視者」も人格障害の産物だったのか。
 十年間が音を立てて崩れるような衝撃だった。病気を病気と捉えずにいた私の十年間は 病んだ心の上に蓄積されていたのか。どこかが狂ったまま、平然と生きてきたのか。
 この瞬間から、一番信用できない人間は、私になった。自分で自分が、どこまで正常なのか混乱して、リスカはますますひどくなった。と同時に薬も増え、昼も夜もなく眠らされている 時間が増えた。食欲もなく、三十キロ代にまで痩せこけた。

 だが、通常そうそう治らないうつ病は、たまたま私に一番正しい処方がなされたのだろう、少しずつではあったが、希死念慮は薄れていき、リスカの回数も確実に減っていった。
 少女のまなざしも、それに連れてやわらかくなってきた。
 リスカをして父を、母を泣かせるたびに、平然としていた私とは裏腹に、少女は申し訳ないとでもいうように一緒になって泣いていた。私の代わりに少女が謝罪しているような、おかしな妄想。

 今、私は治りかけのうつ病患者として通院している。
 自分から夫と離婚しようと決めたことも大きな要因となって回復力に繋がった。
 実家で療養中の私に、一度も会いに来てくれなかった夫。
 治るまでは離婚はしないとメールをしてきた夫。
 だが二年間に及ぶ別居生活をしてしまっては、今更元の関係には戻れない。
 祖父母を介護のため実家で引き取ることもあり、近々ひとりで生活するための部屋を借りるつもりだ。
 離婚届は、私がもらってきた。
 離婚届を書いている途中でも、まだ上擦るような、別れたくないという思いで泣けて泣けて、涙の滲んだものになってしまった。
 未練を断つつもりだけの離婚届ではない。
 ひとりで生き抜くための決心も含ませての離婚届だ。

 少女はまだ私の後ろにいるが、「監視者」のように私を脅かさない。
 むしろ、私の良心とでもいうべき存在となっていた。いや、少女が出て来た時から、少女は私の押し潰された良心を担っていたのだろう。自分の不幸だけに溺れて、周囲の人々にどれだけ心配をさせたかを全く考えなかった私の無意識が生んだ、少女。
 彼女は私の代わりに周囲に気遣い、感謝する。そして、私へ視線を送る。
 その視線に恥じぬよう、私は今日も、ひたすらに生きる。

というのが私です( ・е・)
 

ダイエットなんてしなくても

 投稿者:桐ヶ谷忍  投稿日:2008年 6月27日(金)13時59分38秒
返信・引用 編集済
  あのね、ダイエットするなんて、実は簡単な事なんですよ。
私、たまたま不眠症で、心療科で睡眠薬を1か月分もらうのです。
その薬を使って、仮に5日間寝続けるとしたらどうなるでしょう。
ね。簡単。
しかし身体に悪いのは確かです。
だからこれは最終手段ね。
しかも働いている方には無理ですねー。
私たまたま躁鬱病で、外出あんまり出来ないの。てゆか、したくないの。
思いついたのが昨日だったのだけど、挑戦するのは日曜の夜から。
私たまたま拒食症/過食症を患っているのだけど、一時期は37㌔まで体重落ちまして
服のサイズSSですよ。子供体型でした。洋服なんでも着れて嬉しかったなあ。
でも今はね、限りなく70㌔に近い体重までふくふくと太りました・・・。
切実です。細い時に買った服が全く着れません。とゆか、Lサイズの服も着れません(つд⊂)
だからねー睡眠薬使ってダイエットに挑戦するのです。
あ、もちろん起きた時に飲む美容&最低限必要な栄養分が入ったドリンク剤も購入済みです。
結果は来週の土日あたりに報告します。
 

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